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奮龍(ふんりゅう)は1944年(昭和19年)から1945年(昭和20年)にかけて、大日本帝国海軍が開発していた地対空ミサイルである。 == 開発 == 1944年(昭和19年)初め、高度10,000 mを飛行可能なアメリカのB-29に対抗するために、海軍艦政本部第四部(造船部、船体設計担当)の吉田技術少佐が発案した。7月2日に、第四部首脳陣に対する「自動追尾噴進弾」の説明会が行われた。第一部(砲、火薬担当)の協力を得ることは困難だったため、第四部は艦政本部の研究機関である海軍技術研究所に吉田少佐が通う許可を与え、本格的に開発が始まった〔国本康文「ていこく陸海軍謹製誘導弾技術報告」『丸』2006年10月号 潮書房 P.96~99〕。 わずか10ヵ月後の1945年(昭和20年)4月25日には、高松宮宣仁親王臨席の元、浅間山で特型噴進弾二型の最初の発射実験が行われた〔木俣滋郎『幻の秘密兵器 恐るべき先駆的技術の集大成』廣済堂出版1977年 (後に光人社NF文庫から再版 1998年 ISBN 4-7698-2204-9)〕。二型は、目視による無線操縦により左右旋回を繰り返した後に目標地点に20m離れた場所に着弾し、1回目の試験は大成功を収めた。その後、十数基の試作弾が試験され、6月中旬には宣仁親王の裁可によって、特型噴進弾四型に「奮龍」の愛称が付けられた。7月の試験でも無線操縦に沿って良好な機動性を示したが、速度が遅く左右へ振動する欠点が指摘された。ロケットエンジンは、長崎兵器製作所で桜花に搭載する予定で開発されて不採用となった液体燃料ロケットエンジン「特呂二号原動機」を流用し、燃焼室の改良することでの実用化の目途をつけた。他の部品の完成を待って、8月16日に四型の最初の発射実験(エンジンの地上試験という説もある)が計画されたが、8月15日の終戦までに液体ロケットエンジンは組み立て場に届かず、試作は中止。一切の資料は焼却処分された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「奮龍 (ミサイル)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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